息子が日々成長しております。
先日は私が顔を洗っている間に
オムツを脱ぎそこらへんで💩をしていました。
何故か、そのそこらへんに私のiPhoneがありました。
このiPhoneは、今から3年と5ヶ月前
結婚、子供
永遠に縁のないものだと、
自分も周囲の人も思い
それはそれで。
と割り切り生きていた頃、購入したiPhone。
ちなみにiPhoneケースは、
それから1年と1ヶ月後、息子を出産し
まだ入院していたとき
夫が自分と同じのものを買ってきてつけていたもの
それから時が経ち
息子はわざわざ、オムツを外し💩をできるようになりました。
iPhoneを洗い、ケースを洗い
iPhoneが動くことを確認したあと
夜も遅かったので、そのまま就寝。
朝iPhoneを見ると
2度と起き上がらないiPhoneになっていました。
まぁね、iCloudに逐一バックアップとってあるから
中身は心配ないし
iPhoneもそろそろ支払いが終わる頃なので
特に、壊れたことも問題なく
悲しいのは、ケース。
かといって、もう一度同じ機種を買おうとは思わないのですがね。笑
特にものに愛着があるわけではないのです。
そのものに乗っかっている思い出に愛着を感じるのです。
これでiPhoneが生きていたら
💩の思い出が乗り、とても愛しいものになっていたのに。笑
しばらくiPhoneのない生活を送っています。
不便だなと感じるのは
息子の写真や動画を撮れなくなったことです。
だけど、息子をケータイの先に見ることがなくなりました。
本当に大切なものは
ケータイを通してあるものではありませんしね。
なので新しいiPhoneを買ったとしても
しばらく、iPhoneはおやすみしようとおもいます。
コメント